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  〜医療教育への患者参加〜闘病体験を教育現場にどう活かすのか?

対  談
  多和田奈津子 患者講師・NPO法人グループ・ネクサス副理事長
  宮原 知子   神奈川県立がんセンター 看護師
 

 多和田:ただいま紹介いただきました多和田奈津子と申します。いまご紹介をいただきましたので、和田さん、鈴木さん、谷口先生、今日はこのような素晴らしい機会を与えていただきまして有り難うございました。私、ちょっと副作用で、涙が自然に出てきてしまうので、ちょっとこう、拭うことがあると思いますけども、悲しくて泣いているのではないのでご安心くださいませ(笑)。 

宮原:皆さんこんにちは。本日はこのような機会を与えてくださったことにとても感謝しています。有り難うございます。私はいまご紹介いただいたように神奈川県立がんセンターで看護師を21年いましているところです。その過程の中で、職場の支援を受けながらでしたけれども、夜間の大学を卒業させてもらって、そしてそのあと北里大学の大学院のほうで修士課程を卒業して、いま、がん看護専門看護師として活動しています。修士課程を卒業した頃からぼちぼちといろいろな卒後教育も含めてなのですけれども、基礎教育と看護師の卒後教育に少しずつたずさわるようになりました。
 4年前からそこの校長先生とちょっと知り合いだったというのもありまして、相模原看護専門学校から授業の依頼をいただきました。患者講師を導入したきっかけなのですけれども、相模原看護専門学校のほうから90分の授業を4回やってくれということで依頼がきまして、そのテーマが「がん看護特論」という非常に漠然としたテーマで、なんでもいいからあなたの経験から学生に伝えたいことを話してほしいというような依頼がきました。


 

私は非常に困ってしまって、そんなに長い時間、何をしゃべろうかというところから始まって、いろいろ検索をしていったときに、ちょっと今日、原本を持ってこれなかったのですけれども、『看護人材教育』という雑誌がありまして、その中で、山形県立保健医療大学のサイトウリョウコ先生が書かれた「がん看護学の講義導入の効果と講義展開の実際」という文献に出会いました。この中に、どのようにがん看護学の講義を組み立てていくかというようなことが中心に書かれていて、そこで講義の第1回は、「がんサバイバーの体験談から学ぶ」といった内容が書かれていました。この雑誌の記事の中では、上野創先生の講義を導入したというような経緯が書かれていて、その効果がやはりがんサバイバーの体験から、がんがこわいものだとか、がんは暗いイメージだとか、そういったものを少しでも緩和できるようにということで非常に効果があったという文献に出会いました。
ここにはサバイバーを選ぶにあたって、4つの条件がありまして、まず学生に近い年代であること、患者自身の著書があって、患者の状況がよく表現されていること、現在は治癒し、復職をしていること、大学規定の謝金で了承が得られること、この4つが挙げられていまして、それでちょうどその前に、神奈川QOL研究会という会の中で、多和田さんが患者講師をされていたのを私は聞いていたのです。それで、いろいろと授業をどんなふうにしようかなと思っていたときに、看護師は、多くがいま病棟の中で勤務をしている看護師が多いと思うのですけれども、病院にいる看護師は元気な患者さんに会う機会がないなと思って、いつも入院してくる方のつらい場面ばかりにかかわっている中で、その前の患者さん、その後の患者さんは一体どんなふうにしているのかということに全く接する機会がなかった。その教育研究会のときに多和田さんが患者講師をしながらゴスペルを自分で手を叩きながら大きな声で歌ってくださったのです。その姿を見たときに、「ああ、患者さんって、自分たちがつらい場面を一緒にかかわった患者さんの将来って、こういった希望があるんだな」ということにすごく感動したことを思い出して、ぜひ多和田にということで、患者講師を依頼した経緯があります。

多和田:有り難うございます(笑)。

宮原:それで、私がもうすでに最初に出会ったときには、多和田さんはもう患者講師をされていて、そのきっかけというのはどうだったのかなというのを少しご紹介いただきたいのですけれども。

多和田:私もまさかこんなたくさんの人の前でお話するとは思っていなかったのですけれども、一番のきっかけというのは闘病記を書いたということなのですね。その闘病記を書いたのは2002年なのですけれども、自分が実際に書いているときに、ある医学祭に出掛けたのです。そこで眼にしたのが、ちょうど患者さんの声を聞こうという医学企画がありまして、そこの一番最初の一文に、「私たちは患者さんのことをいっぱい知りたいから闘病記をたくさん読んでみたところ、実際は読めば読むほどわからなくなった」という一文があったのですね。それを見たときにとてもショックで、私がいま実際、何かわかってもらえることはないかと思っていることが、ますますわからなくなることがあるのだと思ったら、本当に心して書かなくてはいけないというのをすごく心に刻んで書いていたときだったのですね。「ああ、そうか、闘病記というのはやはりページ数と字数というのが決まっていて、その中で理解をしてもらわなくてはいけないんだ。もしそれ以外の機会があるのだったら、とても勇気のいることだけれども、何かチャンスがあれば、質問に答えていけないだろうか」というのをそのときに思ったのだと思うのですね。それがきっかけで、「そういったお話をしてくださいませんか」と有り難い言葉いただいたときは喜んでお受けするようになりました。

宮原:先程、前半の講義の中でもあったのですけれども、患者講師をする、引き受けられる上での資質とか、いろいろ難しいのだなと私は思いながら前半の講義を聞いていましたけれども、多和田さんご自身が患者講師を引き受ける上で大切にしていることとか、あとその授業自体、学生に伝えたい願いみたいなものがあったら少しご紹介ください。

多和田:実は、3つほどありまして、一番大事にしているというものは、線を引かないことということですね。いろんな立場の方がいらっしゃると思うのですけども、例えば、私だったら、患者であったり、患者講師という立場で呼ばれたら、ときに先生とかと呼ばれたりすることがあるのですけども、先生と学生、患者と医療者というふうに分けてしまうと、そこに何か見えない線ができてしまう気がするのですね。私、この抄録の中にも書かせていただいたのですけれども、何だか知らないけど、医療者と患者の間には深くて広い溝があると心のどこかで思っていないだろうかというのを、なんとなく私自身も感じていたところがあって、そういったもの、実は何もない、実は話してみたらそんなに大した溝ではなかったということがあるのではないかと。それでなるべく先生とか、患者ということではなくて、隣のお姉さんが話に来ました。だけど私は病気になった。その聞いているその隣の人も病気になるのだと。そのことを考えながら生活していると、実際に病気になったときに役に立つことがあるというのを必ず念頭に置いています。
 2番目が、体験から出たアイディアというのを持ち帰ってもらえるようにしたいなと思っています。先程、ご指摘にお話もあったのですけれども、どうやって立ち直っていったかということに、ゴスペルを歌ったことで、その間は再発の恐怖とか、そういったものを考えられないぐらいリズムを取ることに必死だったり、英語を歌うことに必死だったり、それで自分でこわいという気持ちを忘れて楽になったということを、体験を話してとか、あと、かつらを付けるにはどうやったら自然にかわいく見えるかつらの付け方があるかとか、そういったことを、実際かつらを持ってきたり、帽子を持ってきて、かぶり方を披露したりして、それを持ちかえっていただくということ。
 それから、3つ目は、闘病というのはどうしても暗いとか、つらいということがメインになりがちなのですけれども、そういった生活の中でも、思わず微笑んでしまうような楽しいエピソードがあったりするのですね。そういった喜怒哀楽すべて実は闘病中にもあるということをみんなに知っていただきたいということがありまして、そのことを大切に話しております。

宮原:有り難うございます。学生にとって、がんになることなんて考えたくないと正直にいう学生も少なくはないのですよね。そんな中で多和田さんがお話してくださることによってイメージが変わったとか、こんなに明るい側面があるのだということが、そういったところから学生にも十分に伝わっていると思っています。
 多和田さんは私と一緒にその相模原看護専門学校に行っている中で、多和田さん自身の講義の前にアンケートを取って、そのあとには必ず感想文を全員から提出してもらっているのですけれども、その中から、やってみてどうだったかという学生の反応について少しご紹介いただけますか。

多和田:たぶん皆さんの中にも、がんというなにか漠然としたイメージというのがあると思うのですね。それで、まずちょっとそこのイメージ、学生さんが素朴に思っているイメージというものを明確化してもらって、その中にはやはり、つらいとか、暗いとか、痩せてしまっているとか、もう先がないとか、そういったキーワードがいっぱい出てくるのですけれども、私の講演を聞いたあとで、わりと明るく、ポジティブな言葉が返ってくることが多かったです。
 その中でちょっと感想文の一文を読ませていただきます。「私はいままでがんという病気に対して絶望的にネガティブなイメージを持っていました。がんを乗り越えたというと、もっと暗くて、つらい中、歯を食いしばって必死に生きているアタックNo.1のようなイメージがあった。実際に多和田さんを見て、話を聞いて、すごく明るくて、あっけらかんとしていて、女性としてもすごくかわいくて」(笑)、だから選んだわけではないのですけど(笑)、「普通のOLと変わらない印象でした。ただ、なにかすごく力強さ、やさしさを感じた。以前、私は本当の強さはやさしいことという言葉を聞いたことがあったが、多和田さんからにじみ出るやさしいオーラは、がんと闘い乗り越えたという強さ、自信からくる落ち着き、やさしさなのかなと思いました。また闘病する中で、身近な友人や家族の支援はどんなに力強いパワーとなるだろうと思った。果たして自分がそんな状況になったら、支え続けてくれる友人はと考えるとこわいが、きっと本当に自分にとって大切な人とうまく深い関係性の中で戦うのだと思う。楽しい講演でした。有り難うございました」というのをいただきました。
 というふうに、短期的は効果というのは、感想文でとてもいただけるのですね。潜在的に自分が持っているものを、質問されたり、感想をいただくことで、また自分の課題になって返ってきて、それをいますぐできなくても、なんとかこう、時間が経っていくうちに、「あっ、私が考えていたことはこういうことだったのか。質問された意図というのはこういうことだったんじゃないか」というのを考えるきっかけになっていったのですよね。

宮原:前半の講義の中にも、学生になりたての時期、まだ普通の感覚を忘れていない時期に患者講師を導入していくというようなお話も少し紹介されていましたけれども、実際に多和田さんが学生に話をしたあとの長期的な効果というか、数年後表れる効果みたいなものはどんなふうに考えていったらいいですかね。

多和田:実際、患者講師を一緒にしている仲間同士で、例えば、いま話をして、4年、5年経ったときに、一体どんな人になっていってくれるのだろうかというのは、とても期待しているところなのですね。あのとき話した生徒さんに4、5年後に会ったときに、どんな反応が返ってくるのだろうかというのを、私たちはすごく期待しているのですけども、でもそういうのは実はコーンポタージュスープみたいに、とうもろこしのかたちというのはわからないのだけれども、なにかその中の成分、おいしさとして溶け込んでいて、かたちには見えないのだけれども、とても完成度の高いものになっているのではないかという、なんか漠然としたものなのですけれども、なにか長期的ななにかがほしいのだけれども、実は、大切なものが溶け込んでいるような状態になっているのではないかなと思っています。

宮原:人としての味わいみたいなところで出てくるのかなというのも期待はしているところなのですけど、でも実際に患者講師を導入して長期的にどうだったのかというのはひとつの課題にはなっているのかなと私は思っています。
 今後のことなのですけれども、今後、患者講師をこのようにプロジェクトとしてやって、システムをつくっていく中で、多和田さんが課題と思っているようなことはありますかね。

多和田:例えば、質問というのを、講演したあとに「何か質問はありますか」と言って、ぱっと手が上がるときと、全く、緊張してしまって手が上がらないときというのがあるのですね。やはり手が上がらないときというのは、私も、「今回の講演は失敗だったかな」とかと反省してしまうのですけれども、やはりこれを聞いたらまずいだろうかというのを、おずおずと終わったあとに聞きに来られる方もいらっしゃるのですね。そうやって躊躇しているという瞬間に出会うので、そういう質問を受ける側がもっと聞き上手に、質問を、受け上手というのですかね、になれる技術というのを身につけていく必要があるのではないかなというのがありますね。
 やはり患者講師というのも、先程、楽しい、明るい体験もあると言いましたけれども、その裏にはやはりつらい、それを言葉にしていくには、本当の自分を立て直していかなければいけないという精神力が必要になってくるのですけれども、どんな質問がとんできてもうろたえない精神力、技術というものを磨いていきたいなと思っています。そうやって磨いていくことによって、医療者の方といま現役の患者さんとを結ぶ架け橋になれたらいいなと思っています。

宮原:実際、多和田さんに相模原看護専門学校で講義をしてもらったときに、事前に先程ご紹介があった『へこんでも』という著書を学生に読んでもらいました。そうしたらもう、学生ももう本当にその講義を楽しみにしていたというか、この本の著者に会えるのだというところではすごく楽しみにしていて、授業のあともずらっと並んでサインを書いたりとか(笑)、ああだこうだというやりとりが実際あって、でもそれはすごく学生にとっては意味のある1日だったのではないかなと私は思っています。
 私の病院の隣に横浜看護専門学校というのがあって、今年初めてだったのですけれども、私が所属している緩和ケア病棟の見学と、あとご遺族の方のお話を聞かせてほしいという依頼がありまして、80人学生がいたので、その学生をちょっと見学にまわすのは大変だったのですが、遺族会をやっている関係もありまして、ご遺族の方がちょうどご協力いただけるという方が何名かいました。
 そのときにご遺族の方もご高齢の方が多かったのですけれども、ひとり8分間の原稿を握りしめて5人の方が順繰りで講義をしてくださいました。それをずっと後ろで聞いていたときに、私の斜め前に座っていた学生が何だか肩を震わせていたのです。この人は一体どうしてしまったのだろうと思って、声をかけようかなとは思っていたのですけれども、なんかもう泣いているように見えて、男性の学生だったのですけれども、その学生は、その講演が終わったあと、質問はありますかというふうな講演の先生がふってくれたときに一番に手を上げて、何を話すかと思ったら、自分も父親を半年前に失くしたばかりで、遺族としての自分というものをじっくりと見つめた機会だったようなのです。80人の学生の中でそういった話を学生同士でしたこともなかったし、学校の先生も大変びっくりした。そのような事実があったことは知っていたのだけれども、その学生が実際どんな気持ちでいるのかというのは教員に話をすることがなかったので、ああいった場を持てたことで、きっとその学生自身は癒されたのではないかということで、ひとつの評価が得られました。
 最初に患者講師というところで、選定の条件を4つぐらいご紹介したのがあったと思うのですけれども、様々な立場の人にきっと可能性はあるのだろうと私はそのご遺族の講義をきっかけに思いました。医療者が患者さんと直接かかわる場面、学生時代にかかわれる場面というのは、実習という場面がほとんどなのですけれども、実は看護学生の実習はすごく記録物が多いです。疾患の勉強もしなければいけない、看護計画も立てなければいけない、あれもしなければいけない、これもしなければいけない、明日先輩から何を言われるかわからないといった、かなり緊張度の高い中で実習をしているので、患者さんの体験というものになかなか深く関心を向ける余裕がないというのが現実的な問題であります。
 ただ、私たち医療者は、患者さんをピンポイントでいまのその時期だけかかわっていればいいわけではなくて、やはりその人がずっと病気と一緒に生きているところで、どんな体験をされているのかということにもっと関心を向けたほうがいいと思っているので、なんかこういったご遺族であったり、講義のひとつのひとコマであったとしても、なにかしらの体験者、ご家族でもいいし、ご本人でもいいしというような立場の人たちが、医学教育にたずさわれる機会、あるいは可能性といったものはものすごく広いのではないかなというふうに私は思っています。それがきっと人としての成長につながっていくことを信じています。

多和田:また今後もいろんなかたちでこういった患者講師というのですかね、そういう機会が増えていくといいですよね。

宮原:患者講師にとどまらず、いろんな立場の人が体験を語っていただけるといいなと思っています。
 それでは時間になったので、有り難うございました。

多和田:有り難うございました。


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